読書帳

読んだ本の超簡単な紹介・くだらない考察など

半藤一利『昭和史 戦後篇』(2)

 

2ヶ月以上更新していなかった。反省はしてない。せっかく始めたのだから多少間が空いても続けようと思ってまた書くことにした、ただそれだけのことである。

 

 

今日は日本国憲法の制定と東京裁判(日本の戦争指導者の裁判)のあたりを読んだ。

 

内容:

 

・戦争が終わり、憲法(日本の新しい国家運営のルール)を決めなくてはいけなくなった。

 

GHQは、とりあえず日本人で新しい憲法草案を作ってみろと言った。そこで日本人で草案を作ったが、前の憲法と同じく天皇主権で天皇のやることは絶対!みたいな内容だったので、GHQはこいつら何も反省してないと激怒し、結局GHQで草案の9割方は作られることになった。主な内容は「天皇制は残すが天皇は政治権力を一切持たず民主主義にする」、「軍隊は持たない」、「皇族以外の特権階級は廃止する」。

 

・日本政府はこれに拒絶反応を示したが、GHQ側が48時間以内に承諾しろ、さもなくば天皇の身柄も危ないぞと強硬だったのでやむなく受け入れることにした。国会で野党から追及された吉田茂(政府の大ボス)は「もともと日本は天皇も国民もみんな一心同体なんだからどちらに主権があるとかは大事なことじゃないです、新しい憲法でも無問題です」的なことを言って押し切った。その後、ほぼGHQの内容通りの草案が国会に提出され可決された。

 

天皇が生き残ることは確約されたものの、実質的な戦争指導者(A級戦犯)の責任を追及する裁判(東京裁判)が始まった。

 

・裁判の検事団のメンバーはGHQが決めた。アメリカ、イギリス、ソ連、中国、オーストラリアなど、日本の敵国だった国々から検事が選ばれた。裁判官もこれらの国から派遣された。弁護団は日本人中心だった。弁護人の一人だった清瀬一郎は、開廷直後、「裁判長はオーストラリア人だ。敵国の人間が裁判官をやるのは不公平だ。裁判官を替えろ」と主張したが、裁判長はこれを拒否した。

 

A級戦犯28人が全部で55個くらいの罪名で裁判にかけられた。とりわけ中心的な罪名は「共同謀議」だった。裁判では、全て自分が悪かったと供述する者もいれば、あいつが悪かったと次々に証言する者もいた。結局、全員が何らかの罪で有罪判決を受け、そのうち東条英機(開戦を決定した内閣の首相)ら7人が絞首刑になった。誰を絞首刑にするかは11人の裁判官の投票で決まった。

 

 

こうさつ:

・「押しつけ憲法論」は今でもよく主張される。今の憲法はアメリカに押しつけされたものなのだから自分たちで作り直さないといけないと、その正当性を疑うのである。ただ、オレはその主張には疑問がある。確かに草案を作ったのはアメリカ人だが、最終的に国会で可決された点が重要だと思う。国会議員がアメリカの顔色を窺って可決したのではないかとも思われるが、この国会議員たちは、新しい選挙制度(二十歳以上の全ての男女たる有権者)によって新しく選ばれたメンバーであり、戦前の限られた有権者による選挙とは違う。しかも、憲法草案の内容は、前の憲法に比べ人権の拡大や国民主権、おまけにもう戦争はしないという国民にとっては有り難すぎる内容が含まれている。これを「アメリカの顔色を窺って」可決したのか、それとも本当に望んで可決したのかは明らかだろう。作ったのはアメリカ人でも、それを自ら望んで可決したのであれば、今さら押しつけ憲法などと言い出すのはやや虫が良すぎる。

 

・ただ、オレも今の憲法がベストだとは思わない。70年以上もこの憲法を使い続け、時代に合わない部分が出てくるのは当然である。普通に考えて「軍事力をもたない」と憲法に書いてあるのに思いっきり自衛隊保有しているのは矛盾している。ならばそういう部分の規定を個別に変えていけばいいだけだと思う。

 

東京裁判が不公正な裁判だったことは多くの人がヒステリックなくらいに主張している。確かにお説ごもっともである。勝った人間が負けた人間を裁くのはどう考えてもフェアではない。また、裁判の内容に戦勝国の間の権力闘争の香りが微妙に反映されているのもおかしい。

 おかしいのだが、オレはもう、東京裁判は裁判なんてものではなくて、禊(みそぎ)を払う儀式のようなもので、ある意味しょうがなかったと考えるほかないと思う。なまじ裁判などという公的手続っぽい外観をしているから上記のようなおかしさが際立つだけで、要は一番悪かったと思われる人間数名に責任をとってもらって世論のガス抜きをするイベントだったと思うほかない。法的に誰が悪かったのかを決めてもキリがない。今も昔も日本社会は、誰が言いだしたのかよくわからないことを(それがおかしな内容だったとしても)雰囲気的に進めざるを得ない空気になっていって、気づけば後戻りできなくなっていることが多い。おそらく戦争もそうやって始まったのだと思う。ヒトラーのような強力なリーダーシップやカリスマ性をもった人間は日本にはいない。賀屋興宣(かや・おきのり。開戦当時の大蔵大臣=戦争の予算編成責任者)のWikiを読むと、賀屋は、『軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできず戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ』と語ったという皮肉が載っている。誰が悪かったのかと言われれば、一定以上の役職にあった人間は全員悪いと言わざるを得ないのだろう。でも、そんな何百人、何千人を全員処刑するわけにはいかないし、かといって誰の首もはねないのは世間が許さない。だから、言い方はおかしいかもしれないが、一番いい落としどころとして7人が選ばれて処刑されたのだと思う。確かに手続的にはアンフェアだったが、どのような形の「裁判」をしても落としところは変わらなかっただろうと思う。

 

・めちゃくちゃ長文になってしまった。ネトウヨにだけはならないように気をつけたい。

 

おわり

 

半藤一利『昭和史 戦後篇』(1)


日本の直近の歴史から知りたかったので、日本が戦争で負けて以降の歴史について書かれている本を選んだ。結構厚い本なので、何回かに分けて記事を書こうと思う。



内容:


・日本、戦争に負ける(ポツダム宣言)。

・とにかく食い物がなくて国民は餓死寸前。しかも戦争に行ってた兵隊達もドバッと帰ってきたので食料不足に拍車がかかる。

・配給される食料じゃとても足りないので闇市で食料が出回る。ただし闇市でも値段はメチャクチャ高い。

・戦後直後、GHQ(アメリカの占領軍)が日本を仕切る。GHQは財閥(大企業)と地主(農民をメチャクチャ安い給料でこき使っていたやつら)を締め出す政策を打ち出す。財閥と地主がのさばっていたせいで国民の大半は貧しい暮らしを強いられ、その不満をガス抜きするために日本は侵略戦争に走ったという見立て。

・日本の権力の(形式的)トップだった天皇を裁判にかけるべきかどうかで揉める。国際社会では天皇を裁判にかけろという論調が強かったが、GHQの現場総責任者・マッカーサーはそれはダメだと言った。日本人はとにかく天皇を敬う思想を植え付けられているので、天皇がいなくなったらアメリカを恨みまくってゲリラ戦を仕掛けるようになり統治がうまくできなくなる、むしろ天皇を媒介にして日本人を平和国民にした方がいいという理由。マッカーサーのこの主張により天皇は責任を問われないことが決まった。ただし戦争を実質的に指導した軍人や政治家は続々と裁判にかけられ、多くが処刑。



考察:

今回はここまで。

・戦争に負けて、実際に国民の多くの国民は悔しくて泣いたらしい。戦争なんてとっとと終わってほしいとみんな考えていたんじゃないかとオレは思ってたので意外だった。あるいは戦争は日本有利に進んでいますという政府のウソの発表をみんな本気で信じ込んでいたのかもしれない。

・いつまでも泣いてたってしょうがない、これから頑張ればいいと周りを鼓舞した人達もいたらしい。ちなみにそういう人は後にビジネスで成功する人が多かったそう。嫌なことはとっとと忘れるというのは本当に大事だ

・戦争中、アメリカ人は鬼だ!殺せ!と日本人は政府から洗脳されていたのに戦争が終わった途端アメリカ人の言うことを従順に聞くようになったり急に英語を勉強し始めたりした。これを自分の軸がブレブレという風にみるか、それともそのとき置かれた状況に順応・適応する能力が高いとみるか。おそらく両面あるんだと思う。ミーハーな人が多いのもこれが理由かも。

・とはいえ、やはり昔の人は天皇を敬う気持ちを今も持ち続けてる人がたまにいる。うちのおばあちゃんもそう。子どもの頃から天皇の言うことは絶対だという教育を受けていたのだからやはりその影響力は凄いなと思う。ただ、戦争が終わった後、「私は神様ではありません。ただの人間です」という声明を天皇自ら国民に発したらしいのだが、それはあっさり国民に受け入れられたらしい。つまり天皇が神様か人間かとか今どれだけの権力を持ってるかいうことはあまり重要じゃなくて、偉い人はとにかく偉いという意識自体は残り続けるものらしい。



終わり

ブログを始めた理由


たまに思い出したように読書をすることがあるのだが、オレは記憶力がとても悪いので読んだ本のざっくりとした内容や自分がその時考えたことを書き留めておきたかった。ちなみに読む本は歴史系の評論が多いかもしれない。


内容の紹介については、簡潔に、そしてそのジャンルに興味がない人でも明瞭にわかるようにまとめたいと思う。逆に簡潔かつ明瞭にまとめきれないということは、自分が本の内容をイマイチ理解していないということだ。


そして、ただ内容をまとめただけだと自分の考えをもてないので、本に書かれていることが本当に正しいのかをぼんやりと考えるために多少の考察もしたいと思う。この考察こそが最も苦しく、そして楽しい作業かもしれない。


そんなわけでブログを始めた。


あと、義務感に駆られるとすぐに投げ出してしまうことが予想されるので、やや不真面目気味にやろうと思う。もしかしたら途中から読書なんて関係なくなるなもしれない。



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終わり