村瀬秀信『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史』

 1年以上ブログを更新していなかった。しかし1年以上更新していなかったのにちゃんと戻ってきたのは何よりの精神的成長の証である。はりきって行きましょう。今回はプロ野球横浜ベイスターズについての著作。

 

 

内容:

 神奈川出身で幼い頃から大の横浜ファンだった著者が、選手やOB、球団関係者等への細かい取材を通じ、横浜という日本プロ野球史上最も多く負けているチームの球団史を綴った本。

 

 プロ野球球団としての正式な発足は1950年。親会社は当時日本の水産業界で隆盛を誇った大洋漁業。球団名は大洋ホエールズといった。親会社が漁師の集まりであったことから、海の大物であるクジラにあやかってホエールズと名付けられた。社長が大の野球好きであったために半ば彼の道楽で発足した球団であり、戦前から立派なプロ球団として存在した読売巨人軍などのエリート集団とは異なってファミリー感(あるいは社長の公私混同感)溢れるチームであった。社長自ら家に選手たちを呼んで宴会を開き、なんなら選手の見合いの世話までしようとする。チームを強くしようと監督が外部からスパルタコーチを呼んでくると、社長が「みんなで仲良くやれ。あのコーチは厳しすぎるから辞めさせる」と言い出す始末。このファミリー感に伴う馴れ合い体質こそがチームに緊張感の欠如をもたらし、試合に負け続ける伝統と作ってしまったと著者は分析する。

 ただしこのチームにはもう一つ奇妙な伝統が発生することになった。ごく稀に、極めてごくごく稀に、なぜか突発的に優勝するのである。弱小チームの優勝はファンにとって大きなカタルシスをもって迎えられ、優勝に貢献したメンバーは英雄としてチームの歴史に刻まれていく。しかしそれらの優勝も、このチームの球団史においては決して手放しで喜ぶことはできない。球団発足から現在に至るまで70年近い歴史の中で、優勝回数わずか2回。1回目は1960年、2回目はそれから遥か38年後の1998年。どちらも、せっかく優勝したと思ったらむしろそれでみんな満足してしまったと言わんばかりに、優勝後に深刻な低迷期を迎えている。普通は逆である。しかしこのチームは奇跡的に全てが上手く噛み合ったときだけ優勝してしまうために、優勝後にかえって路頭に迷ってしまうのである。

 なお、チームは1992年に親会社の経営悪化に伴って切り離され、独立採算で経営していかなくてはならなくなった。これにより球団名は大洋ホエールズから横浜ベイスターズに変わった。ユニフォームも応援歌も急にポップなものに変わり、著者らファンは戸惑った。しかし、フタを開けてみると試合での勝負弱さは全く変わっていなかった。

 前述の通り、チームは98年に2回目の奇跡的優勝を果たすものの、その後の2000年代にはチーム史上最悪ともいえる暗黒時代が到来した。考え方がまるで違う監督を次から次へと呼んではコロコロと変えたかと思うと、若手の見本となるべき優勝時の功労選手をあっけなく放出したり解雇する経営陣。現場の選手が自分たちの意見を経営陣に伝えるためには、足尾銅山事件の田中正造ばりの決死の覚悟をもって直訴する以外にない風通しの悪さ。他にも、プロ野球人気の低下によってテレビ放映権料が落ち込みチーム財政が悪化するなどの事情もあったが、やはり大洋時代からひたすら続くチグハグな人事こそがこのチームの弱さの最大の原因だった。

 そんなチームに、一筋の光明が差し込んだ。スマホコンテンツ「モバゲー」で頭角を現した株式会社DeNAが球団経営に名乗りを上げたのである。当初、例によってファンたちはチームがどうなってしまうのか不安に包まれた。しかし、新時代の親会社はこれまでとは違った。2012年、若干35歳にして横浜DeNAベイスターズの球団社長となった池田純氏は、自分は野球の素人であるため現場の監督や選手の考えには深く干渉しないことをモットーとし、逆に現場の意見は会社全体で徹底して吸い上げ共有するシステムを構築した。これにより、他チームに放出された何人かの選手は再びベイスターズに復帰することになった。さらに球団は横浜市内の小学生にチームの野球帽を無償で配るなど徹底した地域密着戦略を打ち出し、ガラガラだった横浜スタジアムは連日ファンで盛況となった。

 チームの戦績がすぐに好転したわけではない。相変わらず最下位を行ったり来たりするシーズンが続く。それでも新たに監督に就任した“お祭り男”こと中畑清はどんなに負けても絶対に下を向かなかった。生来の明るさと異様とも言えるポジティブ発言でファンを盛り上げた。同じ負けの連続でも、今までとは雰囲気が違う。何より、横浜の街全体がベイスターズを応援するようになった。これまで隠れキリシタンのごとくチームを応援していた著者も、これからは堂々とベイスターズファンを公言できることが本当に嬉しいと述べ、この本は終わる。

 

 

 

 

かんそう:

 

 本書は、弱いチームを応援し続けたファンの涙ぐましい物語といったものではない。どちらかといえば、戦う選手たちの胸の内を多くの証言を交えながら炙り出す本だ。横浜に在籍した多くの選手は、優勝の味を知ることなくチームを去っていく。基本的にプロ野球選手は個人の成績で年俸が査定されるから自分の成績さえちゃんと残せていれば一安心かと思いきや、やはり試合に勝つ、あるいはチームが優勝することの喜びから遠ざかるというのは選手にとって極めて辛いようである。決して横浜に名選手が少なかったわけではない。しかし、例えば球団史上No.1投手と評される平松政次がいた時代は打線が全く援護できず勝ち星がつかない、逆に内川聖一村田修一など素晴らしいホームランバッターがいた時代はどんなに点を取っても味方ピッチャーがそれ以上に点を取られて負ける、更にせっかく獲得した期待の外国人助っ人が「ケガした」と言い張って日本に来ない等といった不条理に何度もお見舞いされるのである。

 そしてそれ以上に悲惨なのは、ひたすら迷走するチームマネージメントだ。必死にチームを引っ張ってきた野手6名が1994年のある日突然解雇され、その6名分の年俸をぴったり足した額で巨人から一人の選手が引き抜かれたという事件はあまりにも哀しい。頑張っても試合に勝てないどころかチームからもあっさり見放されるなんて、さながらブラック企業に使い捨てられる悲劇の労働者である。

 しかし本書に数多く登場する歴代OBたちは、著者による取材に対しこの横浜というチームを手厳しく批判するものの、今もずっとこのチームが躍進することを心のどこかで期待する気持ちを少しだけ匂わせる。横浜から離れたくても離れられないカルマのようなものを背負っている人ばかりなのである。それは「絆」といった綺麗なものとも違う。憎いけど愛着はある、愛着はあるけど憎い、そういったものだ。

 そして、同様の心理はファンにもあてはまる。著者がここまでこのチームを取材したのは、まぎれもなく著者がこのチームの大ファンだからだ。なぜ著者はこんな弱いチームが好きなのか。著者はその理由を、幼い頃に父親に連れて行ってもらった横浜スタジアム、その華やかな雰囲気とカッコいい選手たちのユニフォーム姿に一目で心を奪われた経験、ただそれだけをシンプルに挙げる。ここに負け続けるチームへの苛立ちと失望がブレンドされたとき、ますますチームから離れられなくなるカルマが発生するに違いない。

 ただし、今現在のDeNAベイスターズファンの多くは、必ずしもそのような歪んだ心理を持っているわけでもないだろう。地域を大切にする革新的な経営によってファンは激増し、チームのドラフト戦略や補強も合理的なものになってきた。そして本書が出版されて間もない2017年、ついにベイスターズはリーグ3位に食い込みクライマックスシリーズに進出。勢いに乗って2位阪神・1位広島を打ち破り、なんと日本シリーズにまで進んでしまった。結果的に敗れはしたが、圧倒的な資金力やチーム力を誇るソフトバンク相手に雑草魂全開で挑むベイスターズの姿は多くの日本人の判官びいき心理をくすぐった。今のベイスターズを応援する人たちこそ、きっとファンとしては“マトモ”なのかもしれない。

 いつかベイスターズが常勝軍団になったとき、本書の著者のようなファンはチームをどう見つめるだろうか。感無量だろうか、あるいは一抹の寂しさを覚えるだろうか。

 いや、それを考えるのはまだ早い。なんせ日本シリーズ進出直後の大いに期待された2018年シーズン、チームはあっけなく4位に終わった。躍進した後にあっさり沈むというお約束をこのチームが見せてくれる限り、往年のファンは決して離れることはないだろう。

 

 

おわり

宮崎市定『科挙』

手頃な分量で頻繁に更新するという方針は守れそうにない。今回も盛大に自分語りをした結果クソみたいな長文になってしまった。

 

 

内容:

科挙について、国史の研究者が書いた本。

 

科挙は、昔の中国王朝で行われていた壮絶なペーパーテスト地獄のことである。

科挙の目的は、中国皇帝の優秀な手足となる官僚を選抜することにある。そもそも中国王朝では皇帝が全ての人民を支配することになっているが、次第に各地方に有力貴族がのさばるようになり、皇帝による支配が妨げられるようになってしまった。そこで中国全土から皇帝直属の有能な部下たる官僚を選抜し、彼らを手足として各地に派遣することによって皇帝の支配を強化しようという狙いがあった。

 

つまり、それまでの貴族中心の特権階級を政治から排除するため、家柄にかかわらず純粋に賢い奴を選抜する必要があった。そこで、徹底的な公平性のもとに行われるペーパーテストという形が採用された。また、封建制のもとでは一般の人民は商売によって豊かになるのは難しかったが、官僚になれば自分の担当地域で絶大な権力をふるえる様になるので、人民からすれば科挙は出世のために開かれたほぼ唯一の道だった。科挙の最終合格者は「進士」と呼ばれ、自分の故郷にオブジェが立つほど人生最高の栄誉とされた。1回の科挙につき最終合格者は200人~500人程度、合格倍率は時代によって異なるが数百倍から数千倍に達した可能性があるという。

 

試験内容は、主に「四書・五経」と言われる中国の古典から出題される。受験者はその古典を丸暗記する(約43万字)。その中からどれか一部分のフレーズが出題されるので、受験者はその部分の解釈や自分の意見を書いて答える。実際には、頻繁に出題される部分というのがあって、そのヤマ当て予想のようなものも裏で出回っていたようである。

他にも、テーマに合わせてその場で詩を作る問題等も出題される。

 

科挙を受けたければ、まず国立学校に入り、これを卒業することによって科挙の受験資格を得る必要がある。その後、科挙の本番試験を受ける。具体的には以下の通り。

 

①「県試」←学校の入学試験その1

②「府試」←入学試験その2

③「院試」←入学試験その3。これに受かればやっと入学できる。ここまで来るだけでも死ぬほど大変である。なお、入学者は学校を科挙の受験資格を手に入れるための場所としか認識していないので、学校での教育はほとんどロクに行われず、各自で科挙の勉強をしていたらしい(明らかに日本のロースクールと同じ現象である)。

④「郷試」←科挙の本番その1。3日間ぶっ通しの試験を3回(合計9日間)行う。受験者は独房のような部屋に布団や食料を持ち込んで受験する。試験中の食事や睡眠は自由だが、答案用紙を汚損すると採点の対象から外れる。カンペ等の持ち込みや試験官との癒着が発覚したときは、最悪の場合試験官も含めて処刑される。試験場入場の際には係員による身体検査が入念に行われる。カンペ等を発見した係員には国から報酬が支払われるシステムだったので、係員もえげつないほど入念に検査したようである。採点にあたっては、誰の答案かを採点者が特定できてしまうのを防ぐため、答案は全て座席番号のみで管理された。

⑤「会試」←科挙の本番その2。郷試と同じことをまたやる。これに合格すれば進士となり、官僚への道が約束される。

⑥「殿試」←皇帝に直接試験をしてもらえるボーナスステージ。会試合格者の中から審査員によって推薦された上位10人が、皇帝に直接答案を審査され順位をつけてもらう。この順位が高いほどスーパーエリートになれる。ただし順位は完全に皇帝の好みや機嫌で決まる。審査員の意見通りに素直に順位をつける皇帝もいれば、「審査員の言うなりになるのがなんかムカつく」というだけの理由で無駄に順位をいじる皇帝、答案の中身を見ずに顔だけで決める皇帝もおり、せっかくここまで公平に試験をやってきたのに最後にとんでもない不条理が待っているという恐怖のシステム。

 

 

以上が科挙最終合格への道である。

 

科挙制度の評価について、著者は功罪両面を主張する。すなわち、科挙制度が成立したのが西暦587年であり、当時のヨーロッパがまだまだ貴族や教会による支配とらわれていたことからすれば、身分に関係なく全土から人材を選抜する発想自体は先進的で、実際に歴代王朝は広大な中国を長期間にわたり安定的に統治することが可能となった。また、武官よりも文官を圧倒的に重んじ、つねに軍事力を文官のコントロール下に置くという発想の定着にも科挙が大きく寄与した。反面、古典の内容を完璧に暗記することが官僚としての実務能力をどれほど証明するのかは素朴な疑問である。また、そもそも科挙は試験合格者を登用するという究極の省エネ的発想であり、時間とお金をかけて学校教育を充実させることは軽んじられた。近代以降、欧米や日本は様々な新しい技術を習得するために教育の重要性にいち早く気づいたが、中国王朝は科挙を1904年まで続けたため、時間をかけた技術習得の環境が整備されなかったことが近代化の遅れを招いた一因ともいえる。

 

 

 

かんそう:

受験者のことを考えると涙が止まらない。科挙に比べれば現代日本の司法試験などその辺の石ころみたいなものである。

 

とりあえずこの本を読んで思ったのは、現代との比較だ。科挙の合格が成功への唯一の道だったとはいえ、おそらく当時の人々みんながその道を目指していたのではなく、一部の野心家たちが必死に挑んでいたんだろうと思う。では、それ以外の人たちはみんな不幸かといえば、科挙を受けるという発想自体が初めからないのだとすると、むしろ主観的には野心家よりもストレスはなかったんじゃないだろうか。

今の日本はどうだろう。仕事が多様化して、「科挙ほどの苦労はしなくてもよいが、自分の努力次第でそれなりの報酬を得られる職業」が増えた。しかし、選択肢が多すぎると、人は困る。失敗したら自分の責任になるからだ。自分が納得できる仕事ならそれでいいと言い聞かせても、自分が納得できる仕事かどうかなんて働いてみるまでわからないから、怖いのだ。あるいは、今の自分の境遇が悪いのは自分の努力が足りなかったせいじゃないか、自分はどこかで選択を間違ったんじゃないかという不安にも悩みやすいかもしれない。

 

もちろん、自分が納得できる仕事であればそれでいいことには違いない。では、みんなどうやってそれを見つけているんだろうか。あるいは、納得していると自信を持って言える人のほうが少ないんだろうか。そういえば、オレは今までちゃんと世の中の職業について考えたり自己分析をしたことがなかった。

 

(以下、科挙と一切無関係の自分語り)

 

なんとなく、今の世の中の職業は「プレイヤー」と「インフラ」に大別できるんじゃないかと思う。

 

「プレイヤー」は、

例えば、美味しいお菓子を作るメーカー。

例えば、便利なスマホを開発するエンジニア。

例えば、観客を楽しませる映画俳優。

 

彼らはみな、人をハッピーにする。人をハッピーにさせればさせるほど報酬を得ることができる。世間から魅力を感じてもらえなければ仕事にならないが、彼らが頑張ってお金を稼ぐからこそ世間の景気が上向くのだから、彼らこそ経済を回す「プレイヤー」だ。

 

それに対して「インフラ」は、

例えば、病人を治す医者。

例えば、悪人を捕まえる警察官。

例えば、他人の紛争解決を代理する弁護士。

 

彼らはみな、社会にないと困る「インフラ」だ。彼らに発生する報酬は、社会にとっては必要経費であり、それ以上でも以下でもない。たとえ彼らが営利的に活動したとしても(医者や弁護士が広告を打って営業することは普通にある)、その報酬は人々のお悩み解決の対価であり、「仕方なく」支払われるものであることには変わりない。

 

もちろん、「プレイヤー」と「インフラ」のどちらともとれる仕事も多い。例えば、人間にとってトイレは無いと困るので、トイレの便器メーカーは「インフラ」的ともいえるが、すこぶる快適なトイレを開発して人々をハッピーにさせることにより大金を稼ぐ側面をみれば「プレイヤー」的ともいえる。「あれば嬉しいもの」と「無いと困るもの」の区別は曖昧だから、「プレイヤー」と「インフラ」の境目はグラデーションだ。ただやはり、色彩として両極があるということはいえると思う。

 

あるいは、同じ会社の中でも「プレイヤー」的な仕事と「インフラ」的な仕事がある。肝心の商品を作る開発担当やそれを売る営業担当は、彼ら次第で会社の売上がダイレクトに伸びるので「プレイヤー」的だが、会社の環境やお金を管理する総務担当や経理担当は、いないと色々困るという意味で「インフラ」的かもしれない。

 

オレ自身は今、明らかに「インフラ」の方を目指している。(どちらかというと)公務員家族で保守的な親のもとに育ったので、明らかにその影響だ。今目指している仕事に強いやりがいを予感したとか、そんな綺麗な理由はない。いや、ないわけではないが、後付けだ。自分の仕事が人から好かれなくなった瞬間に食い扶持を失う「プレイヤー」になるのが怖いから、とりあえず安定した収入を生み出す専門性がほしくて、なおかつ、どうせなら良さげな資格を取ってやろうと思っただけだ。そして、そのことは何ら不当ではないと思ってきた。

 

ただ、いつ頃からか、「インフラ」に一生閉じこもるのもダサいなと思うようになった。なぜそう思うようになったのか。勉強から逃げる都合の良い言い訳が欲しかっただけかもしれないが、今のところこの道をドロップアウトしようという気もない。むしろ、昔の友人達や先輩・後輩が続々と色んな仕事に就き始めたことが大きかった。メーカー、銀行、教員、自衛官、医者。オレが大学院でタラタラ勉強している間に、彼らはそれぞれの道で仕事をこなし始めた。羨ましい気持ちもあったが、それ以上に彼らの話を聞いて色んな世界のことを想像するのが楽しかった。だから、オレが今目指している仕事にいつか就けたときは、できれば色んな人と交流して仕事がしたいと思うようになった。幸い、性質的にそれができる仕事でもあるから。

 

でも、色んな人と交流するには、度胸が必要だ。人前で恥をかきたくないとか、上品に思われたいということにこだわり過ぎるうちは、きっと人との交流には向いていない。人に名刺を配って歩くことは、ある意味で下品だ。オレにはまだ、そこまでの度胸がない。度胸を問答無用で身につけるためには、競争の世界に身を置かなくてはいけない。決まった仕事をやっていれば毎月同じ日にお金が入るということでは、「インフラ」に閉じこもることになってしまう。

 

オレの親戚は商売をしているが、昔、うちの家族と親戚一同で食事に行ったことがあった。その店は頼みすぎて余った料理のお持ち帰りはNGだったのだが、叔母が店主とかけ合って特別にOKにさせた。叔母は「これが民間の力ですよ」と言って笑っていた。その時は自分の家族が馬鹿にされているようで子どもながらに内心イラっとしたが、今は叔母のようなメンタリティーに惹かれる部分もある。うちの家族にはそんな交渉力はないし、そもそも店にかけ合ってNGをOKにしてもらうという発想がない。それは、閉じた世界で生きてきたからだ。真面目だが、たくましさがない。

 

オレの目指す職種は、少し前の制度改革によって人員が増えすぎたせいで、頑張って資格を取っても就職できるかわからない世界になったと言われるようになった。そこだけを聞くと、インフラ人間としては怖気づいてしまう。ただ、もしかするとそれは、専門性だけではなく度胸やたくましさも獲得するチャンスかもしれない。

 

 

まあ、まずは大前提として専門性がないと話にならない。

そう言い聞かせて勉強するのだが、なんたって覚えたことをすぐ忘れるポンコツ脳だから困るヨ。

 

 

おわり

川端康成『雪国』

『昭和史』もちびちび読みすすめてはいるがさすがに飽きてきたので、今回は割と短めの小説『雪国』について書こうと思う。有名な作品だし、別にとり立てて大好きな小説というわけでもないのだが、毎日理屈や正論ばかりに囲まれて勉強や仕事をしていると、たまにはこういうウットリした作品を読むのも良いものである。

 

 

内容:

正直、起伏のあるストーリーでは全くなく、抽象的な心理描写や風景描写がほとんどなのであらすじが書きにくいのだが、あえて乱暴に書くなら以下のような感じ。

 

・東京に妻子を持つ島村という男が、ある夏、現実逃避のために山奥の村に旅をする。そこで駒子という女と出会い、深い仲になる。冬になり、島村は再び駒子に会いにいくため汽車に乗って村に向かう、というのが冒頭の場面である。

 

・駒子は、もともと踊りで身を立てることを目指し東京に住んでいたこともあったが、ワケありで挫折し、今は村に帰ってきて芸者の手伝いをしている女だった。踊りや音楽の芸術が純粋に好きで、同じく舞踊関係の仕事をしている島村と話が合ったので一気に仲良くなった。島村は、夢中で芸術のことを話す駒子をどこか俯瞰してみていたが、駒子はその日から島村の泊まる宿に何度も来たがるようになった。なお、作品を通して島村と駒子の間の性描写は全くないが、駒子と再会した島村が左手の人差し指を見せて「この指だけが君のことをはっきり覚えていたよ」と言うので、初めて会った時から体の関係はあったことがわかる。ついてに島村が左手で手マンしていたこともわかる。

 

・再会した時には、駒子は「芸者の手伝い」から「芸者」になっていた。実は駒子には幼なじみの行男というのがいて、周囲から結婚を期待されていたが、行男は東京で病気にかかり、その治療費を稼ぐために駒子が芸者になっていた(体を売っていた)。ただ、駒子は行男のことが好きでそうしていたわけではなく、行男の実家に世話になっていたので義理を果たすためにそうしていた。駒子はそういうことも全て島村に打ち明けた。島村も淡々とそれを聞いた。

 

・島村が再び東京へ帰る際、駒子は駅へ見送りに来た。そこへ、行男と親しい葉子という女が駆けつけて、行男が危篤だから駒子さん今すぐ来てと言った。駒子は、これから大事な人を見送りしなきゃいけないから私は行かないと言った。島村は急いで行ってやれと言ったが、駒子は意地でも行かないと言い張ったので、それ以上は島村も何も言わなかった。その後、行男は死んだ。

 

・作中でははっきりとは書かれていないが、おそらく葉子は行男と交際していた。葉子が体調の悪い行男の身の回りを甲斐甲斐しく世話する場面や、行男の墓に葉子が何度もお参りする場面が出てくる。駒子は、行男が死んだことで、行男を一途に世話し続けていた葉子の気が変にならないかと案ずる。また、島村は、葉子と顔を合わせるたび、葉子の痛いほどの純粋さや、行男を誠実に愛さなかった駒子に対する葉子の憎しみを感じ、気まずさもあったが、一方で、その純粋さに妙な魅力も感じる。

 

・そして物語の終盤、葉子のいる建物で火事が起こる。島村は駒子とともに火事の現場に駆けつける。その瞬間、二階から葉子の体が落ちてくるのが見える。駒子は一目散に葉子のもとに走る。「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」という駒子の叫び声が響く。葉子が一命を取り留めたかどうかは明らかになることなく、ここで物語は終わる。

 

 

かんそう:

・おそらく、上記の内容を読んでも何を伝えたい小説なのかよくわからないと思う。オレも、この小説を3回くらい読んだが、話の中に出てくる色んな抽象的な描写が何を表現しているのかよくわからないものが多い。ただ、登場人物間の関係性や心理が妙にリアルに思えることがある。

 

・例えば、駒子は明らかに島村に惚れており、島村もそれを無下にはしないものの、島村が駒子に心から本気になることを示す描写はほとんどなく、ただ駒子が自分を慕ってくれることに対して「君はいい女だね。」と発言し駒子を無性に苛立たせる場面など。面と向かって「いい女だね」と言っているのになぜか突き放してる感が漂うのは、他の女との比較でいい女、というニュアンスが漂うからだろうか。

 

・読書も好きな駒子が、今まで読んできた本のあらすじや登場人物の関係図などを日記に書いてそれが10冊にもなっているんだよ、と島村に話す場面がある。島村は、そんな単純作業を続けたって本の根本的な魅力に気づけるわけではない、ただの徒労だと言う。しかし言った後に島村は、自分から見てそれが徒労だとしても彼女にとってはそれが本を愛する形であり、そもそもロクに仕事を頑張りもせずふらふら旅を続ける自分の人生も同じく徒労ではないかと気づく。往々にして男は「物事の本質」や「人と違うことを考えている自分」なるものにうっとりしがちだけど、日々こなすべき「貯金」や「作業」のようなものを面倒がることが多く、逆にそれを粘り強く続ける女性の純粋さが際立って描かれいるように思う。

 

・ただ、駒子も行男のために芸者になりはしたが、気持ち的には島村に惚れているため行男の死に目には会おうとせず、駒子が一方的に純粋さの象徴として描かれているわけでもない。むしろ純粋なのは葉子の方にも思えるが、駒子が葉子を密かに思いやる場面もちらほら出てくるので、駒子の掴みどころのないキャラクター性がとても難解である。そして、個人的には、この駒子の掴みどころのなさ、あるいは何がその人の本性かなんてそもそも分からないということが作品のの最大のテーマではないかと思う。

 

・実は、冒頭で島村が汽車に乗っている場面で、島村の向かいの席に座る葉子の姿が描かれているのだが(もちろんこの段階でお互いのことはまだ知らない)、この場面の描写がとても象徴的である。汽車の窓に葉子の顔が映って、それを島村が窓の外の風景と重ねて眺める場面の一節。

 

「遥かの山の空はまだ夕焼の名残の色がほのかだったから、窓ガラス越しに見る風景は遠くの方までものの形が消えてはいなかった。しかし色はもう失われてしまっていて、どこまで行っても平凡な野山の姿が尚更平凡に見え、なにものも際立って注意を惹きようがないゆえに、反ってなにかぽうっと大きい感情の流れでもあった。無論それは娘の顔をそのなかに浮かべていたからである。窓の鏡に写る娘の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、娘の顔も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、顔の裏を流れてやまぬ夕景色が顔の表を通るかのように錯覚されて、見極める時がつかめないのだった。」

 

この作品はずっと島村目線で描かれているのだが、フラフラと人生を生きる島村にとっては色んなものが幻のように見えている、ということを象徴する表現かと思う。芥川龍之介のように「善悪」や「正しさ」を問う作品を出さず、あまりメッセージ性のないぼんやりとした美しさを描くことが多い川端康成らしさでもあるかも。

 

 

おわり

半藤一利『昭和史 戦後篇』(2)

 

2ヶ月以上更新していなかった。反省はしてない。せっかく始めたのだから多少間が空いても続けようと思ってまた書くことにした、ただそれだけのことである。

 

 

今日は日本国憲法の制定と東京裁判(日本の戦争指導者の裁判)のあたりを読んだ。

 

内容:

 

・戦争が終わり、憲法(日本の新しい国家運営のルール)を決めなくてはいけなくなった。

 

GHQは、とりあえず日本人で新しい憲法草案を作ってみろと言った。そこで日本人で草案を作ったが、前の憲法と同じく天皇主権で天皇のやることは絶対!みたいな内容だったので、GHQはこいつら何も反省してないと激怒し、結局GHQで草案の9割方は作られることになった。主な内容は「天皇制は残すが天皇は政治権力を一切持たず民主主義にする」、「軍隊は持たない」、「皇族以外の特権階級は廃止する」。

 

・日本政府はこれに拒絶反応を示したが、GHQ側が48時間以内に承諾しろ、さもなくば天皇の身柄も危ないぞと強硬だったのでやむなく受け入れることにした。国会で野党から追及された吉田茂(政府の大ボス)は「もともと日本は天皇も国民もみんな一心同体なんだからどちらに主権があるとかは大事なことじゃないです、新しい憲法でも無問題です」的なことを言って押し切った。その後、ほぼGHQの内容通りの草案が国会に提出され可決された。

 

天皇が生き残ることは確約されたものの、実質的な戦争指導者(A級戦犯)の責任を追及する裁判(東京裁判)が始まった。

 

・裁判の検事団のメンバーはGHQが決めた。アメリカ、イギリス、ソ連、中国、オーストラリアなど、日本の敵国だった国々から検事が選ばれた。裁判官もこれらの国から派遣された。弁護団は日本人中心だった。弁護人の一人だった清瀬一郎は、開廷直後、「裁判長はオーストラリア人だ。敵国の人間が裁判官をやるのは不公平だ。裁判官を替えろ」と主張したが、裁判長はこれを拒否した。

 

A級戦犯28人が全部で55個くらいの罪名で裁判にかけられた。とりわけ中心的な罪名は「共同謀議」だった。裁判では、全て自分が悪かったと供述する者もいれば、あいつが悪かったと次々に証言する者もいた。結局、全員が何らかの罪で有罪判決を受け、そのうち東条英機(開戦を決定した内閣の首相)ら7人が絞首刑になった。誰を絞首刑にするかは11人の裁判官の投票で決まった。

 

 

こうさつ:

・「押しつけ憲法論」は今でもよく主張される。今の憲法はアメリカに押しつけされたものなのだから自分たちで作り直さないといけないと、その正当性を疑うのである。ただ、オレはその主張には疑問がある。確かに草案を作ったのはアメリカ人だが、最終的に国会で可決された点が重要だと思う。国会議員がアメリカの顔色を窺って可決したのではないかとも思われるが、この国会議員たちは、新しい選挙制度(二十歳以上の全ての男女たる有権者)によって新しく選ばれたメンバーであり、戦前の限られた有権者による選挙とは違う。しかも、憲法草案の内容は、前の憲法に比べ人権の拡大や国民主権、おまけにもう戦争はしないという国民にとっては有り難すぎる内容が含まれている。これを「アメリカの顔色を窺って」可決したのか、それとも本当に望んで可決したのかは明らかだろう。作ったのはアメリカ人でも、それを自ら望んで可決したのであれば、今さら押しつけ憲法などと言い出すのはやや虫が良すぎる。

 

・ただ、オレも今の憲法がベストだとは思わない。70年以上もこの憲法を使い続け、時代に合わない部分が出てくるのは当然である。普通に考えて「軍事力をもたない」と憲法に書いてあるのに思いっきり自衛隊保有しているのは矛盾している。ならばそういう部分の規定を個別に変えていけばいいだけだと思う。

 

東京裁判が不公正な裁判だったことは多くの人がヒステリックなくらいに主張している。確かにお説ごもっともである。勝った人間が負けた人間を裁くのはどう考えてもフェアではない。また、裁判の内容に戦勝国の間の権力闘争の香りが微妙に反映されているのもおかしい。

 おかしいのだが、オレはもう、東京裁判は裁判なんてものではなくて、禊(みそぎ)を払う儀式のようなもので、ある意味しょうがなかったと考えるほかないと思う。なまじ裁判などという公的手続っぽい外観をしているから上記のようなおかしさが際立つだけで、要は一番悪かったと思われる人間数名に責任をとってもらって世論のガス抜きをするイベントだったと思うほかない。法的に誰が悪かったのかを決めてもキリがない。今も昔も日本社会は、誰が言いだしたのかよくわからないことを(それがおかしな内容だったとしても)雰囲気的に進めざるを得ない空気になっていって、気づけば後戻りできなくなっていることが多い。おそらく戦争もそうやって始まったのだと思う。ヒトラーのような強力なリーダーシップやカリスマ性をもった人間は日本にはいない。賀屋興宣(かや・おきのり。開戦当時の大蔵大臣=戦争の予算編成責任者)のWikiを読むと、賀屋は、『軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできず戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ』と語ったという皮肉が載っている。誰が悪かったのかと言われれば、一定以上の役職にあった人間は全員悪いと言わざるを得ないのだろう。でも、そんな何百人、何千人を全員処刑するわけにはいかないし、かといって誰の首もはねないのは世間が許さない。だから、言い方はおかしいかもしれないが、一番いい落としどころとして7人が選ばれて処刑されたのだと思う。確かに手続的にはアンフェアだったが、どのような形の「裁判」をしても落としところは変わらなかっただろうと思う。

 

・めちゃくちゃ長文になってしまった。ネトウヨにだけはならないように気をつけたい。

 

おわり

 

半藤一利『昭和史 戦後篇』(1)


日本の直近の歴史から知りたかったので、日本が戦争で負けて以降の歴史について書かれている本を選んだ。結構厚い本なので、何回かに分けて記事を書こうと思う。



内容:


・日本、戦争に負ける(ポツダム宣言)。

・とにかく食い物がなくて国民は餓死寸前。しかも戦争に行ってた兵隊達もドバッと帰ってきたので食料不足に拍車がかかる。

・配給される食料じゃとても足りないので闇市で食料が出回る。ただし闇市でも値段はメチャクチャ高い。

・戦後直後、GHQ(アメリカの占領軍)が日本を仕切る。GHQは財閥(大企業)と地主(農民をメチャクチャ安い給料でこき使っていたやつら)を締め出す政策を打ち出す。財閥と地主がのさばっていたせいで国民の大半は貧しい暮らしを強いられ、その不満をガス抜きするために日本は侵略戦争に走ったという見立て。

・日本の権力の(形式的)トップだった天皇を裁判にかけるべきかどうかで揉める。国際社会では天皇を裁判にかけろという論調が強かったが、GHQの現場総責任者・マッカーサーはそれはダメだと言った。日本人はとにかく天皇を敬う思想を植え付けられているので、天皇がいなくなったらアメリカを恨みまくってゲリラ戦を仕掛けるようになり統治がうまくできなくなる、むしろ天皇を媒介にして日本人を平和国民にした方がいいという理由。マッカーサーのこの主張により天皇は責任を問われないことが決まった。ただし戦争を実質的に指導した軍人や政治家は続々と裁判にかけられ、多くが処刑。



考察:

今回はここまで。

・戦争に負けて、実際に国民の多くの国民は悔しくて泣いたらしい。戦争なんてとっとと終わってほしいとみんな考えていたんじゃないかとオレは思ってたので意外だった。あるいは戦争は日本有利に進んでいますという政府のウソの発表をみんな本気で信じ込んでいたのかもしれない。

・いつまでも泣いてたってしょうがない、これから頑張ればいいと周りを鼓舞した人達もいたらしい。ちなみにそういう人は後にビジネスで成功する人が多かったそう。嫌なことはとっとと忘れるというのは本当に大事だ

・戦争中、アメリカ人は鬼だ!殺せ!と日本人は政府から洗脳されていたのに戦争が終わった途端アメリカ人の言うことを従順に聞くようになったり急に英語を勉強し始めたりした。これを自分の軸がブレブレという風にみるか、それともそのとき置かれた状況に順応・適応する能力が高いとみるか。おそらく両面あるんだと思う。ミーハーな人が多いのもこれが理由かも。

・とはいえ、やはり昔の人は天皇を敬う気持ちを今も持ち続けてる人がたまにいる。うちのおばあちゃんもそう。子どもの頃から天皇の言うことは絶対だという教育を受けていたのだからやはりその影響力は凄いなと思う。ただ、戦争が終わった後、「私は神様ではありません。ただの人間です」という声明を天皇自ら国民に発したらしいのだが、それはあっさり国民に受け入れられたらしい。つまり天皇が神様か人間かとか今どれだけの権力を持ってるかいうことはあまり重要じゃなくて、偉い人はとにかく偉いという意識自体は残り続けるものらしい。



終わり

ブログを始めた理由


たまに思い出したように読書をすることがあるのだが、オレは記憶力がとても悪いので読んだ本のざっくりとした内容や自分がその時考えたことを書き留めておきたかった。ちなみに読む本は歴史系の評論が多いかもしれない。


内容の紹介については、簡潔に、そしてそのジャンルに興味がない人でも明瞭にわかるようにまとめたいと思う。逆に簡潔かつ明瞭にまとめきれないということは、自分が本の内容をイマイチ理解していないということだ。


そして、ただ内容をまとめただけだと自分の考えをもてないので、本に書かれていることが本当に正しいのかをぼんやりと考えるために多少の考察もしたいと思う。この考察こそが最も苦しく、そして楽しい作業かもしれない。


そんなわけでブログを始めた。


あと、義務感に駆られるとすぐに投げ出してしまうことが予想されるので、やや不真面目気味にやろうと思う。もしかしたら途中から読書なんて関係なくなるなもしれない。



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終わり